2010年10月25日
伊津部小学校の先生又は保護者関係者へ
今日同僚と二人で奄美市のボランティアに
登録してきました
≪市役所二階で受け付けしました≫

≪駐車場下にはたくさんの水などがありました≫

それでその登録しに行くちょっと前に
佐川急便の方からの情報で 伊津部小学校横の
東ヶ丘に上る横の弥生焼酎の細道を少し入った
所で崖崩れしているが バリゲードも何もしていないとの
話を聞いたので 同僚と二人登録を済ませた後に
確認しに行ってきました 確かに校舎が見える
すぐ横で崩れかかってました もし仮にこの下で
小学生や近くの小浜保育園の園児や生徒などが
遊んだり立ち入ったときに 崩れてきたら
大惨事です 学校の近くなので早くバリゲード的なのを
したほうがいいのでは? きっと学校の先生や
親御さんは子供達に危ない所には近づいては
ダメですよって五月蠅いぐらいに 言ってるコトでしょうけど
万が一もあるので早く立ち入り禁止にしてほしいです
≪この道を入っていくと≫

≪崖が崩れ小屋でどうにか支えてます≫

≪車も入ってました≫

≪車も入ってました≫

≪正面から見ると本当に怖いです≫

警察や奄美市も忙しくて手が回らないのですかね
小学校の近くなので恐いです
登録してきました
≪市役所二階で受け付けしました≫

≪駐車場下にはたくさんの水などがありました≫

それでその登録しに行くちょっと前に
佐川急便の方からの情報で 伊津部小学校横の
東ヶ丘に上る横の弥生焼酎の細道を少し入った
所で崖崩れしているが バリゲードも何もしていないとの
話を聞いたので 同僚と二人登録を済ませた後に
確認しに行ってきました 確かに校舎が見える
すぐ横で崩れかかってました もし仮にこの下で
小学生や近くの小浜保育園の園児や生徒などが
遊んだり立ち入ったときに 崩れてきたら
大惨事です 学校の近くなので早くバリゲード的なのを
したほうがいいのでは? きっと学校の先生や
親御さんは子供達に危ない所には近づいては
ダメですよって五月蠅いぐらいに 言ってるコトでしょうけど
万が一もあるので早く立ち入り禁止にしてほしいです
≪この道を入っていくと≫

≪崖が崩れ小屋でどうにか支えてます≫

≪車も入ってました≫

≪車も入ってました≫

≪正面から見ると本当に怖いです≫

警察や奄美市も忙しくて手が回らないのですかね
小学校の近くなので恐いです
Posted by maman at
20:07
│Comments(2)
2010年10月25日
住用村西仲間
昨日はお昼から住用村西仲間の『住用の園』の前に
家のある 私の会社の同僚の親戚の家を片づけに行きました
一応ココはまだ『住用の園』の左手の山が100メートルほど
ずれてるまんまなので危険区域で 一般には立ち入り禁止区域でした
なので私達の作業している横で自衛隊の方々が一生懸命に
『住用の園』の片づけをおこなっていました
しかもここの家主の方が旦那さんは消防署員で奥さんは
奄美市の保健士さんで お二人とも自分の家のことよりも
災害にあわれた方々の為に働いてるので 自分の子供にも
2~3日会えなかったみたいです 昨日も奥さんはあっちこっちへ
走り回ってて自分の家なのに 片づけに来れない状況でした
また旦那さんも前の日は勤務でその日も夕方から
奄美体験交流館に泊りでの仕事と言ってました
なので私達に出来るコトはできるだけお手伝いしてきました
すると人の縁って不思議ですね 私が『私の義理のオバァチャン
わだつみ苑にいたけど 助かりました』って話をしたら
なんとその消防士さんが助けてくださった方でした
なのでその時な貴重なお話も聞けました
そして不思議なコトにその方の お母さんも昨日
片づけにいらしてて そのお母さんが『住用の園』の
土石流の第一発見者で『住用の園』の職員だったので
昨日は作業が終わってから本当に貴重な当時のお話を
伺うことができました その話も紹介したいのですが
まだ写真が編集が間に合ってなくてスミマセン
≪城の道路はまだまだ石や泥で大変でした≫

≪城の通り沿いの家にはまだ沢山の石や土が溜まってました≫

≪住用の園の前の道が川になってました≫

≪隣の家では大勢の子供達が手伝ってました≫
≪
≪ここでも子供達は泥だらけになっても明るかったです≫

≪オニギリを食べる子供さんのピース≫

≪お茶やジュースの差し入れを頂きました≫

≪夕方には一応ひと段落着きましたがまだまだするコトはあります≫

≪住用の園で自衛隊の方々が作業しています≫

今日から住用や大和村や龍郷の子供達も
学校が始ったみたいですね まだまだ復興まで大変ですが
奄美の方々皆で協力しあっていけたらいいですね
話は変わりますが 『アマ―ビレ楽団』やKzファクトリーなどの
関係者の方々 チャリティーコンサートなどどうでしょう?
不謹慎かもしれませんが音楽で奄美に元気を下さい
家のある 私の会社の同僚の親戚の家を片づけに行きました
一応ココはまだ『住用の園』の左手の山が100メートルほど
ずれてるまんまなので危険区域で 一般には立ち入り禁止区域でした
なので私達の作業している横で自衛隊の方々が一生懸命に
『住用の園』の片づけをおこなっていました
しかもここの家主の方が旦那さんは消防署員で奥さんは
奄美市の保健士さんで お二人とも自分の家のことよりも
災害にあわれた方々の為に働いてるので 自分の子供にも
2~3日会えなかったみたいです 昨日も奥さんはあっちこっちへ
走り回ってて自分の家なのに 片づけに来れない状況でした
また旦那さんも前の日は勤務でその日も夕方から
奄美体験交流館に泊りでの仕事と言ってました
なので私達に出来るコトはできるだけお手伝いしてきました
すると人の縁って不思議ですね 私が『私の義理のオバァチャン
わだつみ苑にいたけど 助かりました』って話をしたら
なんとその消防士さんが助けてくださった方でした
なのでその時な貴重なお話も聞けました
そして不思議なコトにその方の お母さんも昨日
片づけにいらしてて そのお母さんが『住用の園』の
土石流の第一発見者で『住用の園』の職員だったので
昨日は作業が終わってから本当に貴重な当時のお話を
伺うことができました その話も紹介したいのですが
まだ写真が編集が間に合ってなくてスミマセン
≪城の道路はまだまだ石や泥で大変でした≫

≪城の通り沿いの家にはまだ沢山の石や土が溜まってました≫

≪住用の園の前の道が川になってました≫

≪隣の家では大勢の子供達が手伝ってました≫
≪

≪ここでも子供達は泥だらけになっても明るかったです≫

≪オニギリを食べる子供さんのピース≫

≪お茶やジュースの差し入れを頂きました≫

≪夕方には一応ひと段落着きましたがまだまだするコトはあります≫

≪住用の園で自衛隊の方々が作業しています≫

今日から住用や大和村や龍郷の子供達も
学校が始ったみたいですね まだまだ復興まで大変ですが
奄美の方々皆で協力しあっていけたらいいですね
話は変わりますが 『アマ―ビレ楽団』やKzファクトリーなどの
関係者の方々 チャリティーコンサートなどどうでしょう?
不謹慎かもしれませんが音楽で奄美に元気を下さい
Posted by maman at
15:06
│Comments(2)
2010年10月25日
龍郷戸口
昨日は午前中だけでしたが 龍郷町戸口へ微力ながら
ボランティアに行ってきました 昨夜少しブログにupしましたが
載せきれなかった写真などの紹介です 戸口も本当に大変な
被害状況でした 戸口もほとんどの家が床上床下浸水していました
またボランティアの方々など沢山の方々が復旧の手伝いにきていました
その中でもまだ小さな子供達が泥だらけになりながら 大人達にまじって
作業をしている姿は心を打たれました
≪戸口小学校がボランティアの方々の受け入れ先でした≫

≪朝来たときは一番乗りぐらい車がいなかったのに帰りは沢山でした≫

≪泥だらけになりながらも手伝う子供達≫

≪泥だらけになりながらも手伝う子供達≫

≪中戸口の通り≫

≪蔵兄の家にて≫

≪とにかくまずは家の中の物をだす≫

≪皆で作業≫

≪皆で作業≫

≪水間製糖も大変な被害でした≫

≪龍郷ロマン街道の道が崩れまだ久保田商事へは道が繋がってませんでした≫

この後 少し心苦しい気持ちで戸口を後にし 住用に行ってきました
ボランティアに行ってきました 昨夜少しブログにupしましたが
載せきれなかった写真などの紹介です 戸口も本当に大変な
被害状況でした 戸口もほとんどの家が床上床下浸水していました
またボランティアの方々など沢山の方々が復旧の手伝いにきていました
その中でもまだ小さな子供達が泥だらけになりながら 大人達にまじって
作業をしている姿は心を打たれました
≪戸口小学校がボランティアの方々の受け入れ先でした≫

≪朝来たときは一番乗りぐらい車がいなかったのに帰りは沢山でした≫

≪泥だらけになりながらも手伝う子供達≫

≪泥だらけになりながらも手伝う子供達≫

≪中戸口の通り≫

≪蔵兄の家にて≫

≪とにかくまずは家の中の物をだす≫

≪皆で作業≫

≪皆で作業≫

≪水間製糖も大変な被害でした≫

≪龍郷ロマン街道の道が崩れまだ久保田商事へは道が繋がってませんでした≫

この後 少し心苦しい気持ちで戸口を後にし 住用に行ってきました
Posted by maman at
10:37
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